鰻酔集(まんようしゅう)
2019.05.07
浜名湖と言えば、「うなぎ」を連想する方も多いと思います。
そこで、今回は鰻をテーマにした話をしてみましょう。
浜松市内には、約100軒程の鰻料理店が点在し、この地には関東風と関西風のお店が混在している全国的にも珍しい地域です。関東風とは鰻を背から開き、蒸した後に蒲焼にしますが、関西風は腹から開き、蒸さずに蒲焼にする違いがあります。理由は江戸の武士は「切腹を嫌った」所から来ているようです。
浜名湖が何故鰻で有名になったかと言いますと、天然鰻が沢山捕獲出来た訳ではなく、明治33年に浜名湖岸に大規模な養鰻場を設けて、東京や大阪等の大都市に出荷しその生産量が国内一だったからなのです。
鰻の代表的な料理は鰻丼ですが、考案されたのは今から約200年以上前の文化年間(1804~1817)と言われ、当時の値段は64文ですので、現在の貨幣価値にして1,600円位だったようです。今でこそ鰻料理も高値の花になっていますが、大正から昭和初期には成金が出没し、当時のうな重一杯の値段は現在で言うと、15,000円位だと言われ、四畳半程の部屋に芸者を呼び、三味線の音色を聴きながら酒を飲み交わし、鰻を食した贅沢な時代もありました。
最後に鰻屋の符丁について書きましょう。符丁とはその専門業者しか分からない言葉や印であり、随分以前は料理を注文すると、例えば「せんがんのお重一丁」と大声で調理場に通されたものです。「せん」とは千であり、「がん」とは9を指します。つまり、1,900円のうな重となります。浜松・浜名湖にご家族や友達と遊びに来られましたら、このような話をしてあげますと、貴方も「鼻高」になるかもね!?
(元うなぎ調理人 シャンボール浜名湖 管理員 談)