淀橋浄水場
2019.02.01
当社があります新宿駅西口は駅を出ますと新宿新都心の超高層ビル街が目の前に広がります。この超高層ビル街にかつて『淀橋浄水場』があったことをご存知でしょうか?今の風景からは想像できませんが、この淀橋浄水場は1965(昭和40)年まで存在しました。
明治中期の相次ぐ伝染病の流行を機に江戸時代から使われていた玉川上水や神田上水の水質検査が行われ、水道システムの見直しが検討されました。また、これらの水道が消火活動にも不向きなため、新たな水道設備が望まれました。
そこで、1890(明治23)年に都心部への入口にあたる新宿に近代的な浄水場の建設計画が決定。1898(明治31)年に日本橋、神田に沈殿水の通水を開始し、翌年には玉川上水を沈殿・ろ過し、ポンプ圧送あるいは自然流下によって1日17万立方メートルの水を鉄管の水道網で都市部に供給する新システムの淀橋浄水場が完成しました。これにより当時の東京市域に安全な水が供給され、伝染病の流行が激減するなど大きな効果をもたらしました。
そんな東京の暮らしを長年支えてきた淀橋浄水場ですが、次第に周辺の都市化に伴い、1965(昭和40)年に東村山浄水場にその機能を移管し、廃止となりました。
淀橋浄水場の跡の約56ヘクタールの広大な敷地には、続々と超高層ビルの建設が進められます。
1968(昭和43)年の地上47階建ての京王プラザホテルの完成を皮切りにその後、新宿住友ビル、KDDビル、新宿三井ビル、安田火災本社ビル等の超高層ビルが完成します。そして1990(平成2)年に東京都庁舎が完成し、東京の新都心として機能する街へと生まれ変わりました。
今では、淀橋浄水場の面影は殆どありませんが、かつて西新宿は淀橋と呼ばれており、その地で設立した淀橋写真商会が現在のヨドバシカメラとなりました。かつての西新宿を偲ぶ数少ない面影です。